渭南エココミュニティー

INAN eco community
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猛暑の本当の理由

 メディアによる連日の猛暑報道をみていて、ひとつ気になることがある。猛暑の原因について、高気圧がどうの、寒気や水蒸気がどうのと、眼に見えやすく直接的な部分ばかりが強調されすぎていないか。その元にある気候変動そして地球温暖化、さらにはそれを引き起こした人間活動に関しては無視されているのだろうか。そこまで踏み込むと自らの行動を規制することになるから触れないでいたいのだろうか。多くの人々は「人類には叡知がある」と思い込んでいるらしいが、この現象は人類の「小利口さ」を顕現しているに過ぎないのではないか。猛暑の本当の原因は人間の脳に起因するのではないのか。

楽しさと儲けは手軽に

 バス釣りについてもうしこし書いておきたい。ルアーが樹に引っ掛かかり放置された釣り糸に絡まって死んでいたアオサギを、何年か前、この日記で写真とともに紹介した。昨年別の池で、バス釣りをしている若者に「釣れますか?」と声を掛けてしばらく話した。わたしの「バスが小魚を食べてしまうから、小魚で生きているカワセミが可哀そうだ」を聞いた彼は、そそくさと立ち去った。去られては困るのだ。そこにバスが居るかぎり自然のキャパシティーが許す分だけバスは増え続け、生態系を破壊するのだから、バスを釣って殺して欲しいのだ。そのとき私はトンボの観察が目的だった。口に入る動く物ならなんでも食べると言われるブラックバスは、トンボのヤゴも食べているかもしれない。この地では、絶滅危惧種のヨツボシトンボやコフキヒメイトトンボも食べられているかもしれない。ほかにもゲンゴロウやケラ、タイコウチ、タガメ、ミズカマキリなども喰われているかもしれない。バスつりの魅力は「引きの強さ」「釣ったときの醍醐味」だと紹介されている。その楽しみまで奪うほどわたしは傲慢ではないが、別の方法は考えられないのだろうか。たとえばブラックバスが生息する大陸へ渡航するとか、引きの強さを味わいたいなら海でクエやイシダイ、カンパチやブリ、ヒラマサなどで代用できそうに思うのだが。経費や時間がかかり過ぎると言われるかもしれない。でも楽しみとは、ほかの何かを犠牲にしたうえ、めったに味わえないからこそ倍加するものではないだろうか。手軽に楽しさを味わうために生態系に手を加えることには反対である。なお、今どんな水域にも居るブラックバスは釣り人が持ち込んだものではあるが、ルアーフィッシングの道具を売って儲けたい釣り道具屋が釣り人に分け与えたとも聞いたことがある。悪いのは釣り人だけではなく、加担した商売人もいるということらしい。手軽な楽しみと、手軽な儲け。いま一度考えてもらいたいものだ。

目先の金儲けを援助する行政とメディア

 富士山が世界文化遺産に登録されたのに、世界遺産の範囲にある富士五湖の一部で外来生物法で駆除の対象になっているブラックバスを放流しているのは問題だと、民放テレビが取り上げた。だが既得権益を持つ漁業者の利益にも配慮するなどと、当たり障りのない結論に落ち着いた。ブラックバスに手当たり次第に小魚を食い尽くされた時、素人の私の頭に一番に浮かぶのはカワセミやヤマセミ、アカショウビンといった野鳥の食べ物がなくなることだ。生態系に詳しい人間ならもっと多くのデメリットが考えられるはずだ。人間を養ってくれている自然が食い荒らされているのだ。さらに、釣ったブラックバスはキャッチアンドリリースだから数は減らないで、毎年繁殖する数と放流する分が増加することになる。増加したバスは、当然餌が減るのだから流域の他の場所を求めることになる。そうすると放流した湖だけでなく広い範囲に生息域を広げてしまう。そしてその場所でさらなる環境破壊を起こしてしまう。こんな原則的なことさえ見落とした、掘り下げ不足の番組であった。ところでバス釣りに使うボートを貸し出す業者は、漁業者なのだろうか?本当のところは観光業者ではないのだろうか。農水省所管の法律で観光業者を保護するということが行われているのかもしれない。なにはともあれ、行政は目先の金儲けの協力しか出来ないらしい。

自然の力に人間が加勢

 きょうの愛媛新聞は、篠山の「アケボノツツジに異変」と大きく取り上げた。その原因はミヤコザサの鹿による「食害」だとも。だがその裏に、人間が鹿の食害を助長した事実が忘れられている。平成4年にミヤコザサに食害が出ていることを知った私は、数年の間に担当課職員として防鹿ネットの設置を提案した。だがこの提案は上層部の「鹿は銃で駆除すればいい」という一言で一蹴された。国立公園特別保護地区で銃猟が禁止されていることも無視された。この判断のバックには一部有力議員の意思が働いていたことも垣間見えた。さらに何年かたって、ミヤコザサがほぼ全滅した頃、ようやくネットが設置された。だが、根っこが無くなったミヤコザサが復活するはずも無い。こうして安山岩の上をうすく覆っていた腐葉土は流亡の憂目にあうこととなった。そして念を入れるように、ネットの中には2頭以上の鹿を閉じ込めている。鹿が閉じ込められていることは担当課職員に伝えたが、おそらくなす術も無く放置したままだと推測される。ここでは関わったそれぞれの個人を攻撃しているのではない。なにかを判断する時、人間は自らや関係者の立場や都合を優先してしまいがちである。防鹿ネットの施工時になすべき気配りが欠けていたことも含めて、人とはなんとも浅はかな存在であると思えてしまうのである。

もっと賢く

 この日記に原発に関することを書かなくなって久しい。「フクシマ」以降メディアは詳しく報道するし、世間の人々も注目しているのだからと、私見を述べることを躊躇してきたからだ。だが最近の「汚染水漏れ事件」に関しては、もう少し踏み込んだ意見を書き残しておきたい。一口で言えば、「汚染水漏れ」は想定しなければならないこと・想定できることを想定していなかったことから起こったと言えそうである。そもそも「フクシマ」も想定しなければならないことを「想定外」のところに置き去りにしてきたことに始まる。人間文化研究機構 総合地球環境学研究所の初代所長を務められた日高敏孝さんは、作用・反作用という言葉を引用しながら、「人間が何かをすると、それに対して必ずなんらかの反作用が起こる」、だから何かをする時にはその先を熟考しなければならない、といった意味のことを言っておられた。政治や経済に関してもそうであるが、こと原発に関しては先をみる目が無いのではないかと思わされてしまう。人間とはもっと賢い生き物であったはずだ。

ウナギも絶滅危惧種に

 環境省はニホンウナギを絶滅危惧B類に指定したと、テレビ報道。乱獲が原因だとばかり思い込んでいたら、気候変動で産卵場所が移動し、海流に乗る稚魚の行き先が変わったことも原因のひとつらしい。乱獲にせよ、気候変動にせよ、人間が仕出かしたことにはかわりはない。ウナギが減ったことは、ニホンカワウソの絶滅にも関連している。ヒトという生き物はこうして、ありとあらゆるバイオスフィアの仲間・食糧・恵みを殺してゆく。その先には自らの絶滅が待っていることすら感じることなく。

続・探究心

 きのうの続きである。カナダのケベック州住民の誕生、結婚、入植、死亡を数世紀にわたって調査したスイス・ベルン大学の集団遺伝学者ローラン・エスコフィエによると、開拓者たちは移住しなかった者より結婚が早く、それだけ子どもの数も多かったといい、開拓者の夫婦は20%多く子孫を残したという。開拓者ならではの遺伝子や文化が占める割合は、彼らの集団、ひいては北米の人口全体の中で急速に上昇したとされる。このようにして、好奇心が旺盛で、技術革新に余念がなく、非安定志向で危険をいとわない性質を生み出す複数の遺伝子が選択されたのだろうという。今後もこの遺伝子を持った人口は増え続けるということなのらしい。
 黒潮に乗って移住してきた日本人の子孫であるわたしにも、おそらくその遺伝子は伝えられているはずだ。だが、危険をいとわないということと、地下資源由来の芳香族による発ガンやホルモンかく乱のリスク、核物質によるDNA損傷のリスクに無頓着というのは別格であって欲しい。わたしは石油由来の芳香族炭素化合物と放射能による人類の先行きを非常に心配している。個体に死が訪れるように種もまた滅びるという原則に立つならば、人類はいつか滅亡する宿命を負っている。だが、これら以外も含めて新しいものを求め続け、そのリスクに眼をつむり続けるならば、バイオスフィアの摂理を超えて滅びの時期を速めるだけではないのだろうか?

探究心

 ナショナルジオグラフィック新年号は、人類の「探求の旅路」を特集した。ドイツの進化遺伝学者スバンテ・ペーボの言葉として、「同じ人類でもネアンデルタール人は10万年以上繁栄したが、世界各地に広がったわけではない。ところがわたし達ホモサピエンスは、たった5万年で世界中に広がった。尋常ではない。」と述べている。このことに関してドーパミンD4遺伝子のひとつDRD4-7R遺伝子が係っているとする説もあるが、人間の探究心という複雑なものを、たったひとつの遺伝子で説明するのは無理があり、複数の異なる遺伝子群の働きに支えられているらしい、とまとめている。わたしがずっと思ってきた「人間の性」について、世界中の学者たちが研究していることをはじめて知った。だが、未知の世界を目指す衝動として、研究者たちは概ね肯定的であるが、わたしには目新しいものが好きだというリスクに思えてくるのだ。

邪魔者は消せ

 化学物質・電磁波過敏症の女性がめずらしく電話をよこした。電話機から流れ出るわずかな電磁波にさえ生活を狂わされる彼女が、危険をおかして電話してきたのは、風力発電が愛南町でも計画されていることを知って、自分のような患者をあらたに出さないで欲しいという強い願いがあるからに他ならない。松野町からの御心配である。話が終わって「最近は路上で踏み殺されているヘビが気になる」というから、「わざわざハンドルを切って踏み殺す人もいる」と話すと、「え、なぜそんな可哀そうなことを」と絶句していた。生物多様性国家戦略に謳われている【生物多様性の保全と管理】は邪魔なものは排除するという、旧約聖書 創世記弟1章28節で説かれた「せべての生き物を支配せよ」の曲解からきているのだから、ロードキルをむごいと思う貴方やわたしは世間ではしょせん少数派なのですよ、と言っておいた。世間の常識が思わぬ方向にあることに彼女は驚いていたが、そんな彼女こそが正しいと言ってくれる世の中であって欲しい。思わず、きのうの続きになってしまった。

「着地」に関して考えること

 今夜のNHKスペシャルは、エチオピアとケニアのマラソンの強さの秘密を紹介した。色々な角度からの分析であったが、最初の「着地」に関して気付いたことを書いておきたい。長距離がけっこう速かって、体育教師から眼をかけられていた頃、「着地は踵から」と何度も強調されたことを忘れることができない(別に陸上部だったわけではない)。きょうのテレビは、東アフリカ勢がそれとはまったく違う着地をしていることをとり上げた。いわく「爪先から着地している」と報じた。そして、その原因は山道を裸足で走り回るからだとも。まったくの素人のわたしに批判する能力はないが、すこしだけ。幼いころ祖父の山仕事を手伝うため山中を移動するのに、しょっちゅう倒木などを飛び越えていた。大人なら軽く踏み越えられる高さでも、背の低い子どもは飛び越えなければ前へ進めない。そして着地場所ばかり見ていると目標を見失うことになる。足を降ろす場所の状況は、足の裏の感覚だけということになる。そうやって動くことができたからヤマドリの巣を見つけたり、タヌキの穴を発見できた。水を張った水田の作業でも、踵から踏み込んでいたら泥の中の異常には気付けず、たぶん転んでしまうだろう。スポーツ科学からは」爪先からの着地」が正しいのだろうが、本当の強さは理論だけでは導き出されないような気がする。大相撲がモンゴルの力士達に牛耳られてひさしい。つるべで水を汲むから強靭な握力、腕力、背筋力を得ているとする見方もある。生活そのものが、学校のクラブ活動で体力づくりをするよりもっと以前から基礎体力を鍛えているのだ。科学的な検証より前に必要なものが見失われていないだろうか?本来もっているはずの身体能力を衰えさせる方向にシフトしている現代文化は、このままでいいのだろうか?


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